* 食:地元の郷土料理を学び、地域の海の幸、山の幸、在来作物を堪能する調理方法を探求し、工夫し、楽しみ、味わう。
* ものづくり:地元には様々な分野のものづくり名人がたくさん埋もれている。名人を発見し、その知識と技から学ぶ。
* 足元を知るために地域の歴史、文化、生物、植物などを調査する。
* 興味あるテーマを深く掘り下げて学ぶ。
学びの過程で様々な出会いが生まれる。地域や地域外、外国の、「人」と「自然」と「歴史」と「伝統文化」との出会いを楽しむ。
この研究所は豊後水道を望む風光明媚なリアス式海岸に恵まれた大分県佐伯市の海崎地域にある戸穴(ひあな)の河内区(こうちく)という集落に拠点を置き、2017年初春の設立を予定しています。
大分県のリアス式海岸の最南端の佐伯市蒲江から最北端の大分市佐賀関までの東海岸地域は古くから水運や漁業が発達してきた地方でもあります。神功皇后三韓征伐で活躍した豊後水軍の海人族(あまべぞく)が、その功労の見返りの少なさに不服を申し立て、首長が「海人の乱」を起こしたところ、大和朝廷軍に制され、海部郡(あまべごおり)として支配下に置かれたという記述が『大神一族と佐伯氏』(1981 南海新報)という郷土史にも載っています。神功皇后は『日本書紀』に記載されているものの、実在した人物か否かは諸説ありますが、古代から地理的条件を生かして水・海運という経済力と、水軍という軍事力を兼ね備え、豊後水道と瀬戸内海を自由に行き来し、九州北部や四国、中国地方や朝鮮半島に及ぶ物産の交易や文化交流による海人族の豊かな世界が長い間展開されていたことは想像に難くありません。
また、戸穴という地名は、正保四年(1647)の『豊後国郷帳』に十四ある佐伯荘の郷の一つとして戸穴郷が記載されており、三村七浦から成り立っていました。戦国時代に戸穴の城砦「河内城」を築き勢力をもった広末氏は大神氏の庶流であり、宇佐地方から逃れてきたか、水軍を率いて霞ケ浦に上陸し、大宮八幡に拠ったともいわれています。戸穴地域の氏神でもあり、海の神として祀られ、漁師たちによる「ジョーヤラ」祭りが毎年行われる大宮八幡神社が大同二(807)年創祀ということも、戸穴の歴史の古さを物語っています。この神社のスダジイ、ホルトノキ、ヒメユズリハなどの豊かな海岸林が市指定の自然林として保護されています。
「あまべ文化研究所」の「あまべ」はこうした豊かな海と山に囲まれ、古い歴史を持つ海部郡や海人族の風土や文化を象徴しています。(写真は狩生の彦岳頂上からの豊後水道の景色)
民間の研究所としてのあまべ文化研究所は、ソーシャルビジネス(社会的企業)としての経営を目指します。
ソーシャルビジネスとしての研究所の活動は次の四つのアプローチから成り立っています。
活動拠点となる「遊志庵」の「遊」が示すのは、学びを堅苦しくとらえず、自由自在な発想から生まれる、予測不可能な創造的展開に価値を置くというスタンスです。